
親が宗教に没頭しすぎてこのように悩む事があるのではないでしょうか?
そんな君に向けて僕から言える結論は、

ということで僕が実際に幼い頃から実践していた7つの習慣のお話をします。
目次
頭の中で自分の世界を作ってしまう。毎日妄想する。
僕が習慣的にやっていたのは、現実逃避という名の妄想ですねw

自分の頭の中で妄想して夢を描いて、親から強要されるわけのわからない宗教の教えから逃げていました。
しかし、その妄想がとても楽しかった。
頭の中で自分の世界を作ってしまうことは快感だった。
人によっては、

なんて言う人もいるかもしれませんが、僕はそんな事全くないと思います。
もちろん状況にもよるとは思いますが、例えば僕の場合、自分の妄想の世界を思い描かなくて、あのままずっと母親の宗教の教えを頭の中に埋め込んでいたらどうなっていたでしょうか?
きっと現在の母親と同じ末路をたどっていたと思います。
何か嫌なことがあると先祖のおこないのせいにしたり、
電車の中でもバスの中でも人目を気にせず、呪文のようにお経のようなものを唱え、
お金がないないと言って稼ごうとする努力はせずに、お金が巡ってくるようにお祈りしたり、
運がよくなると思い、一生懸命生活費を削って宗教に献金したり…。商品を買ったり…。
僕はこんな人生を歩むのは絶対にいやだった。
だからこそ、逃げ場を作ることって実はとても大切です。
僕はその逃げ場を自分の頭の中に作っていました。
好きなこと、夢中になれることを見つける。
夢中になれるものを見つけたら、宗教のことなんて考える暇ありません。
スポーツでも音楽でも遊びでも、何でもいいです。
ちなみに、幼いころの僕は漫画が大好きだったので、祖父母のお小遣いで当時小学生達の間で話題だったコロコロコミックという漫画本を毎月発売日に買っていました。
あとは、ゲームですね。
そう、こんなレベルでもいいくらい何でもいいんです。
ちょっとでも油断したら、母から一方的に宗教の話をきかされたり、お経がきこえてくるので、
こうやって時間を忘れるほど没頭できるものを作って、洗脳から離れるようにしていました。
お金を使うなら、自分にとって一番幸せなものを選択して買う。
僕の家は母子家庭で貧しい家庭で、母はいつもお金がないない言ってました。
しかし、お金がないないと言いながら、はまってる宗教にたくさん献金していましたし、お布施や変な儀式へも結構な大金を投じてました。
そんな親を見ていたので、僕は絶対に宗教にお金を払うという事はしませんでした。
ようは、親がやってるから自分もやるという考え方にはならなかったという事です。
そういうのは、自分の家族や生活を犠牲にしてまでやるものではないと思いますし、家族を犠牲にすると余計に家族からの見られ方も悪くなりますよ。
この環境の中で、僕はお金は心身が豊かになるものに使うようにしようと思うようになりました。
宗教で禁止されてることを一度勇気をもってやってみる(犯罪はダメ!)
僕の宗教で禁止されていたのは以下の3つでした。
- 酒
- タバコ
- 異性関係
しかし、ただダメと言われてもなぜダメなのか納得できるわけではありません。
そこで僕はお酒から入ることにしました。ちょうど当時つるんでいた友達にすすめられたのもあり、缶ビールを飲んでみると、ちょっと気持ちよくなりますがなんてことなかったです。
タバコはにおいが嫌いですし、吸うとむせるのでほぼやっていないですが、あとは女性と付き合いはしましたね。
女性と付き合ってみたら女性の心理や気持ちがわかるようになりましたし、失恋したり、素敵な彼女もいたりと、恋愛から学べたことや経験ってとても大きかったです。
このように、実際に宗教から禁止禁止と言われていても、実際やってみるとそこまで悪いことではないという事に気付きます。
ただダメだと言われているからとかではなく、なぜダメなのか自分で考え、納得いかなければやってみるという事をオススメします。
もちろん、だからといって人として外れた行為や犯罪はダメですよ?当たり前ですがw
宗教施設へ行くのを拒否する。

親に強引に連れて行かれるとか、行かないと怒られるとか色々理由はあると思いますし、わかります。
僕もそうでしたから。
しかし、一度思い切って、毎週のようにある宗教施設に行くのを拒否しましょう。
理由は、宗教に対する情熱がないまま行くような場所ではないからです。
情熱と信仰を持っている方々の中で自分は疑念を抱きながら、施設内にいる。
そんな中できく講義なんて心には響きませんし、苦痛なだけです。
僕はある時期から半ば強制的に母から連れて行かれていた宗教施設へ行くのを拒否した結果、とても心が開放感でいっぱいでした。
自分の意に反するような場所を避ける事によって、ストレスから解放されたからです。
嫌だなって思うのはあなたの心身が宗教施設に対して反発を起こしているということなので、行かなくてもいいんです。
そして、行かないのが当たり前になると、それは全くおかしい事でも何でもないという事に気付きますよ。
親がやってる宗教について深く考えてみる。
その宗教がどういう経緯でできて、なぜそのように教えているのか深く考えてみましょう。
例えば僕の場合だったら、

と考えるようになったので、それを母親に直接尋ねてみると、

僕からしたら、なにを根拠にそんな事いうのか全く理解できませんでした。
理解できないから、疑念もずっと残ったまま。そんな状態でその宗教を信じられるわけないじゃないですか。
その宗教の教えに共感できれば信仰は続けられるし、疑念を抱いたままの信仰なんて続けてもしんどいだけ。
共感できるか、納得できないかというのは、今後自分がその宗教を信じる上での基準になってきますので、自分でその宗教について深く考えてみるっていうのはとても大切な作業です。
自分を信じる!!

母の宗教の依存性をずっと見てきて、ある日から僕が思い立ったのはこんなことでした。
他に信じることをゆだねられないのであれば、自分を信じるしかありませんでした。
自分の気持ちと考えに正直になる。
こんな事を言うと、

という意見も出てくるかもしれません。
そこで僕から言える事は、

自分は自分として生きていくことをまずは決めること。
これが僕にとって親の宗教の洗脳から解放される最高の習慣でした。
大丈夫。あたなにもきっとできる。
読んでいただきありがとうございました。
心に笑顔と栄養がいきわたりますように。
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