僕の母親は20代の若いころから定年を過ぎた現在に至るまで、ずっと同じ宗教に依存しています。
というか、むしろ、依存する宗教の対象が知らない間に増えています。
この前、その宗教について、動画内で検索をしたところ、その宗教に没頭している親の子供が幼いころの僕と全く同じ苦しい思いをしているのを見て心が痛くなりました。
そこで僕の実体験を踏まえた、

という、どういう弊害が起きるのかお話します。
目次
宗教の考え方を強要される。

もう宗教依存をしている人間は、その宗教の教えが全てで世の中が回っていると思っています。
そして、一番考え方を植え付けやすい我が子へ宗教の教えを埋め込もうとします。
赤の他人であれば、強要しようとすると反発を起こしますが、物心ついてない子供は一方的に洗脳しやすいので。
本来であれば、自分で考えて自分で決断する能力が大切になってくるのですが、教えを強要された為に、幼い頃から埋め込まれた宗教の考え方と現実社会でのギャップが生じて悩み、苦しむ人を僕は自分を含め、何人も見てきました。
半強制的に宗教施設に連れて行かれる。
子供の頃って遊んだり自分のことしたい時ですよね?
しかし、宗教に没頭している親を持つと、半強制的に宗教施設に連れていかれます。
僕もそうでした。
そして、講義をきいたところでもうわけがわからないんです。
わけがわからない日本語の講義をきいていて、楽しくもないし、ストレスしかありませんでした。
あれだけ子供の頃に散々きいたのに、講義内容なんて全く覚えていませんし。
だいたい内容としては、
- (多分えらい人の)講義。
- 合間合間に歌を歌う。
- 終わったら宗教の人たち同士で軽く談話。
あんなところに行くくらいなら、もっと寝ていたかったし、もっと遊びたかった。
自分としてはとても無駄な時間を過ごしたと思っています。
親の話す話題のほとんどが宗教の話題。
他の親子がどんな会話をして、どんな風に交流をしているのかが僕はわかりませんが、僕のところは、
ほとんど宗教の話題で終始完了します。
例えば、僕がごはん食べている時も、

とか急に話し始めたり、あるいは、言葉のキャッチボールがとれない例では、



とまぁこんな感じのかみ合わない会話が日常茶飯事で、どうせ宗教の話題しか話してこないと思うと、親子の会話も必然的に減っていきました。
宗教が定める禁止事項を家庭でも強要されるので、できないことがある。

僕の親は宗教に関する禁止事項で僕にいつも口酸っぱく言っていた事があります。

母の宗教ではこの項目が強く禁止されているようなので、いつも言ってましたが、なぜダメなのか具体的な理由も言われなくて頭ごなしに言われても理解できるわけないじゃないですか…。
僕の場合は、お酒は社会人になってから飲む機会時々ありますし、タバコはちょっと吸った時期もありますが今はもう吸っていません。
異性関係に関しては、彼女も今までいたことありますし、恋愛っていろんな事が学べる最大の経験だと思っています。
ていうか、子供が一番悩む部分ってこの恋愛の部分だと思います。
思春期で多感な時に好きな人ができても、その気持ちを押し殺すしかない…。
そんなの本人にとっては辛いだけじゃないですか。
子供はあきらめたくない事でもあきらめて生きていかなければいけない。
これってどうなんですかね??僕は納得できないです。
教祖の写真が家に置いてあるので友達からツッコミを受ける。
友達を家に連れてくると、家の見える場所に堂々と教祖の写真が置いてあるので、友達から毎回、

ときかれていつも気まずいです。
なんて答えたらいいんだろう…。神様??宗教のオッサン!?
いつもなんて答えていいかわからない僕は、

といってごまかしてました。
毎回毎回きかれるの面倒だし、堂々と紹介できないってなんだかなぁといつも複雑な思いでした。
世の中からカルトのような悪いイメージを持たれた宗教だと人にいいずらい。

世界にはとてもたくさんの宗教があり、メジャーで知られてる宗教やあまり知られてない宗教まで本当に様々です。
しかし、僕の母親のやってる宗教はあまり世間からイメージのいいものではありません。
過去には様々は問題やトラブルが起き、訴訟や事件にも発展し、マスコミにも取り上げられたくらいですから…。
ですので、僕も堂々と人に言えないというのが正直なところです。
親のことで隠し事があるというのも、子供の立場からしたら辛いものがあります…。
お金がないないと言いながら高額な祈祷代や商品を購入するので家計が圧迫される。
僕はこのサイトでも何度も何度も言っていますが、宗教も会社です。
どこかで利益を得ないと、建物の運営やらその他の活動経費が捻出できないわけです。
ですから、あれこれ商品やお金のかかるものを提案して何とかお金の流れを作ろうとします。
僕の母も、高額な商品や祈祷代を平気で払っていました。
母子家庭なので決して裕福ではないのですが、それでも働いたお金が宗教に消えていく…。
僕はあまり人にお金の使い道についてとやかく言いたくはないのですが、家庭にも余裕がない中であれば、お金を使う優先順位って出てくると思います。
自分の宗教の高額商品よりも、もっとお金を使うべきところがあるでしょう。
お金がないないと毎日のように嘆きながら切り詰めた生活をしているくせに、いつも宗教の商品や祈祷代を払っている母を見て、僕はいつも矛盾を感じていました。
まとめ
というわけで今回の記事をもう一度おさらいすると、

という宗教に依存する親を持つ子供の具体的な苦しみに関するお話でした。
P.S.
こんな記事を書いた後に言うのも何なのですが、僕はよほど変な宗教でない限りは偏見はありません。
宗教を信じながらも世の中には頑張ってる方々もたくさんいると思いますので、みんながみんな僕の母みたいではないとも思っています。
ですが、依存し過ぎて自分の人生の全てを宗教に預けてしまうのは違うと思います。
なぜなら、結局のところ、人生は自分の器以上の人生にはならないからです。
もし人生を変えたくて、お祈りをしている暇があるのなら、人生を変えるために行動する方が先だと僕は思います。
そういう意味では、母は反面教師となり僕はそこからいろんな事を学びました。
もし僕のように、自分の親が宗教に没頭している方々は一度冷静になって親を観察してみてください。
そして、自分の人生の生き方はどうか自分で決めて欲しいです。
もし自分も同じような悩みを抱えている、相談できる相手がいない…という場合は下にツイッターのアカウントか、プロフィールのお問い合わせリンクをはっておくので、気軽にメッセージください。
僕も顔だししてないブログだから堂々と話せてますが、実際に相談できる人いなかったので…。
読んでいただきありがとうございました。
心に笑顔と栄養がいきわたりますように。