僕は幼少期、母親から日々暴力を受けていた。
その時の事については、下記の記事で詳しく綴っている。
大人になった今でも急に脳裏をよぎる、母から受けていた虐待の記憶
ずっと暴力を受けていた僕だったが、ある日から暴力はピタッと止まった。
ある日、というよりも「あの時から」という表現の方が適切だろう。
僕が虐待を止める事ができた方法はたった1つだ。
他にもあるかもしれないが、実際に僕はその1つの方法しかわからなかった。
そして実行した。
そのたった1つの方法…それは抵抗する事だった。
今日このブログでは「あの時の」記憶をさかのぼる事にしようと思う。
「あの時」と向き合って自分が前に進むためにも。
自分の中の何かがきれた。

母親から僕への暴力は小学校から中学2年まで続いていた。
中学校では部活にも入っていた為、疲れ切った身体なのに、その身体で虐待を受けるのは悲惨なものだった。
相変わらず殴る蹴る、耳を引っ張られたりつねられる、物で殴られる等、特に理由がなくても母が気にくわなかったら、
暴力を受けるという日常を生きていた。
中学2年のある日だった、いつものように分厚い本で殴られてる時…
自分の中で何かが音をたてるようにきれた。
その瞬間、僕は人が変わったように暴れていた。
「あぁぁぁ~~~!!」と奇声を発しながら。
覚えているのは、そこら変に落ちている物を母に向かってとにかく投げ、母を突き飛ばして蹴飛ばし、そこら辺の戸棚や置物を倒しまくった。
これまで押さえていた何かが一気に放出されたような感覚…。
テレビで時々、サーカスで調教されていたゾウが突然暴れ出して、人を襲ったりする光景が放映されているが、まさにあの時のゾウの感覚もこんな感じだろうか…。
驚いた母は涙ながらに家から逃げ出し、近所に住んでいる叔母の所へ一目散に逃げて行った。
それから数日間…母のいない部屋で1人で過ごす日々が続いた。
寂しさなんて微塵もなかった。むしろ、心は開放感で満たされていた。
久しぶりにぐっすり眠れたし、目覚めもよかった。皮肉にも、家族がその場にいない状況に安堵している自分が存在するという事実が、今までどれだけ大きなものに押さえつけられていたのかという事を如実に物語っていた。
叔父からの暴力。

開放感に満たされて、自宅で1人過ごしていた日々もつかの間、母は次の手を打っていた。
叔母と一緒に自分の実の兄、叔父に電話をしたのだ。
「ティーが反抗期で暴力を振るう!!」
叔父は母が僕に対してずっと虐待していたなんて事実は全く知らない。
この連絡を受けた叔父からしたら、自分の親に暴力を振るう悪い息子にうつったという事だ。
ある日の事、母が家に戻ってきた。なんだかよそよそしい様子で。
「なんだ…戻ってきたのか…」
僕はため息をつき、テレビを見ていた。するとガチャンと大きなドアの音と共に叔父が入ってきた。
「ん?珍しい。どうしたんだろう…?」
こんな事を一瞬考えた瞬間、叔父が怒気をあらわにしながら、迫ってきた。
「お前!親に暴力ふるいやがって!!お前のような奴をくらわす為に俺が来たとじゃ!!」
この一声と共に、あぐらをかいて座っている僕に叔父は何度もケリを入れてきた。
何度も、何度もだ…。
ケリというよりも、もはや踏みつぶされていた。さすがに自分の身をガードしながら、必死に謝罪の言葉をつぶやいていたのを今でも覚えている。
「ごめんなさいっ!ごめんさないっ!!」
当時、僕はテニス部だったので家にテニスラケットを置いていた。それを見つけた叔父はそのテニスラケットを手に取った。
「これでこうしてやるっ!!」
これで殴られたらひとたまりもないと察知した僕は、すぐにその手をとって、必死にテニスラケットを押さえた。
もみ合いになったが、何とかテニスラケットで殴られるのを防ぐ事ができた。もしあの時、固いテニスラケットで殴られていたら、本当に大けがを負わされていた可能性が高い。
その後の記憶はうる覚えだが、叔父に散々お説教をされて、しばらく叔父は家に居座っていた。
叔父からの暴力で、僕はまた恐怖と理不尽に満たされた空間で過ごす事に不快感と絶望を覚えたのだった。
あの時を思い出すと、今でも吐き気をもよおすほどに…。
理不尽な暴力との決別。

僕は反抗期で家庭内暴力というレッテルを貼られた上に、母に呼ばれた母の兄、叔父から体罰とういう名の制裁を受けた。
こんな状況にあの時の僕はとても納得ができなかった。
でもその代わり、母からの虐待はこの時を境にピタッと止んだ。
体格が大きくなった僕が、鎖から解き放たれた猛獣のように暴れ、これまで一方的に虐待を受けていたのに反撃に出たのだ。
きっと予想もしなかった事が起きて、母も恐怖におののいたんだろう。
理不尽な制裁と引き替えに、僕はようやく、虐待という名の一方通行の暴力から解き放たれた。
しかし、今になって思うが、これだけの代償を支払わないと、虐待からを逃げられないものなのだろうか?
強い力から弱い力への流れを、どれだけの痛みを受ければ流せるのだろうか?
今でもずっと、このような疑問で僕の頭は埋め尽くされている。
あの時を振り返って、現在、虐待を受けている子供に僕が伝えたい事。
だんだんと、このブログを書いていると、過去の自分に語りかけるような感覚になってきた。
虐待は世の中から決してなくならないし、今僕がこの話をしている最中ですらも、どこかで一方的な暴力に苦しんでいる子供がいる。
そして、苦しい現実に日々おびえている君に、過去に同じ経験をした先輩として伝えたい。
「どうか勇気を持って欲しい。」
もちろんそれが難しい事は重々承知の上で言っている。
親の圧力に怯えて、何か行動を起こせば報復だってあり得るし、それを考えると何もできない。
現に僕だって、母に叔父を呼ばれて報復を受けてしまった。
それでも僕は勇気を持って欲しいと強く言いたい。よくいじめられていた子が反撃した次の日からいじめがなくなったという話をきくが、あれはあらかた嘘でもないと思う。
親に暴力を振るうような行為をすすめていると非難の声もあがるかもしれないが、子供にだって自分を守る権利はある。
それが例え、自分の意に反している行為だとしても、自分の身を守るために、時には拳を振り上げる事だってあるだろう。
僕はその方法でしか、虐待から逃れられなかった。
ただ、無理に僕のように暴れて親に反撃しろなんて言わないよ。性格的に難しいという場合もあるだろうから。
僕の場合は、あの時の自分はもう無我夢中で気付いたらそういう行動に出ていたという結果だから。
例えば、自分が信頼できる先生に相談するのもいいし、友達のお母さんやお父さんにだっていいじゃないか。
もしくは近所の人にでもいいよ。君が思ってる以上に、君を守ってくれる場所も存在する。
それは、児童相談所というものだ。
要は君たちを守ってくれる機関だ。当時の僕は知識なんてないからそんな事わからなかったけどね。
こんな事先生や周りの友達には言えないと思うかもしれない。僕もその気持ちは痛いほどわかる。
僕もそうだったから。
けど、今君が言葉でも拳でも、何か行動を起こさなかったら、君は身体の傷と同時に一生心の傷を背負う事になる。
大人になった僕がまさにそうだ。人を簡単に信じられない、愛情が何なのかわからない、苦しい過去で心と身体が苦しくなる。
君が親から離れて、社会人になって、一人暮らしを始めたとしても、大人になってもこんな事が続くんだよ?
君にはこんな僕のようになって欲しくない。
重い十字架を背負うという事がどれだけ君を苦しめるか、君は今の状況でいっぱいいっぱいできっとわからないだろう?
君には無限の可能性があるから、君の好きな人生を生きて欲しい。親の圧力なんかに屈している場合じゃないんだ。
僕の心からの声を好き放題書いたけど、伝わっただろうか?何でもいいから、勇気を持った第一歩だ。
君が虐待から1日も早く解放される事を心から願っている。
そして、1つ約束する。どんな事があっても、僕は君の味方だ。
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