大好きだった利用者さんを亡くした介護職での忘れられないあの日の記憶

僕が介護職を経験している中で一番辛くて今でも忘れられない記憶があります。

それは仲の良い利用者さんが亡くなり遺体の第一発見者発見者になった時の記憶です。

本当に良くしていただいた方だった…

なぜかはわかりませんが、急に書きたくなったので、あの時の思いをつらつらと書き綴ろうと思います。

どんな利用者さんだったか

一言で言うと、明るくてとても人柄のいい利用者さんでした。

81歳の高齢なのに認知症も全くなく、スタッフともいつも笑顔で会話し、他の利用者さんにも、~さんおはようございますと自分から積極的に声かけをされるすごく人間性が素晴らしい利用者さんでした。

僕もよくティーさんと名前で呼ばれて笑顔で接していただきましたし、

用事があって部屋に行くと、おいしいシュークリームや食べ物をいただいた事今でも覚えています。

施設に入居前は苦労していた利用者さん

その利用者さんは奥さんと一緒に僕の老人ホームに入居してきました。

ご主人の方は認知症が全くないのですが、奥さんの方は重度の認知症でした。ですので、奥さんに関しては、

スタッフもお世話するのが大変でした。重度の認知症なので、短気記憶がないのは当たり前なのですが、

自分の部屋の床や他の利用者さんの部屋に入って失禁したり、頻繁に徘徊したりで目が離せませんでした。

そんな奥さんを10年間、自力で介護をしていた利用者さん。そして、当時奥さんを介護していた時はなんと、30キロもやつれたそうです。

失禁や寝らずに徘徊する奥さんを自宅でみるのは確かに負担が大きいと思います。

話をききながら、高齢なのに苦労されてたんだな…と強く感じさせられました。

突然の入院

入居してしばらく経って、その利用者さんは肺に水が溜まる疾患ができて、手術の為少しの間病院に入院してました。

それからまた施設に戻ってきましたが、高齢で手術をして病院ではほとんど寝たきりの生活の為だいぶ身体が弱ってました。どの利用者さんもそうですが、入院から帰ってくるとほぼ確実に弱って帰ってきます。

その利用者さんの場合は、少しでも動く度にハァハァと息が上がり、ごはんの量もどんどん減ってました。

これが忘れられない記憶になる合図だったとは、この時僕はまだ知るよしもなかったです。

忘れられないあの瞬間の記憶

夜勤のスタッフは毎朝利用者さん全員の部屋に赴き、血圧を測るのもお仕事の1つです。

その日は僕が夜勤の日で、血圧を測る為に、この利用者さんの部屋に入りました。部屋に入ると、ベット上に利用者さんの姿はなくおかしいと思った僕は、居室内にあるトイレに入ると、

トイレの床に座り込んで横向きに寄りかかったままの利用者さんの姿がありました。

初めは、トイレの中で立てなくなったのかな?と思いましたが、どうもおかしい…

瞳孔が開き、口も半開き、顔色、肌色は真っ青というよりも紫に近い。

すぐに緊急事態だと思い、慌てて、もう1人の朝来てたスタッフを呼ぶと、あーもうこれダメやけん救急車呼んで救急車と言われ、すぐに救急車を呼びました。

電話口のオペレーターが救急車がくるまでこのまま電話をつないだまま心肺蘇生をして欲しいと言ってきたので、寝かせて心肺蘇生しようとしたらすぐに救急車到着。

そして部長と社長に電話で連絡。部長は寝ていたのか電話に出なかったので、社長に電話すると、

社長は電話に出てくれて対応していただきました。あの時の僕は内心とても混乱していたので、

知ってる人の声を電話口できけたのは少しだけ安心感を感じたのは今でも覚えています。

警察からの事情聴取

亡くなってから少し時間が経過していた為、特に誰かが入ってどうこうしたというわけではないとは思いますが、

念のために話をきかせて欲しいと警察と検察も駆けつけた時に事情聴取されました。

僕の記憶ですが、きかれた事は下記の項目です。

  • 第一発見者の筆者の名前
  • 筆者の住所
  • 筆者の生年月日
  • 筆者の電話番号
  • 利用者さんが亡くなる前に最後に見た時間帯
  • 何か病気は持っていたか
  • 利用者さんが通院してた病院
  • 利用者さんの名前
  • 利用者さんの生年月日
  • 利用者さんの住所
  • どんな格好で亡くなっていたか

と色々ときかれました。
検察いわく、泡をはいていたりしたチアノーゼはないので、苦しんで逝ったのではなくてそのまま即死だそうです。

死亡推定は発見から30分以内。

そんな事を言われるともう少し早く発見していたら、助かったのかと後悔先に絶たずと言ったところでしょうか…

あの日の記憶を境に僕が今でも思うこと

夜勤をしていればいつかこういう機会がくるだろうと思っていましたが、いざくると、混乱し、後悔もいっぱいしました。

あの時優しくしていればよかった、もっと俺が早くに気付いたら命は助かったのではないか、もっと話をしていたかったのに…こんな後悔がずーっと頭を巡り、動機がしたり、時にはボーッとしたり。

身体は弱ってたけど、普通の会話や笑い話までふつーにしてたし、まさかこんな急に亡くなると思いませんでした。

ちょうど亡くなる前日に普段は使わないのですが珍しくナースコールで呼ばれて、トイレに行ったら床で転んで痛いのでマッサージして欲しいとのことだったので、膝の裏と足首の裏をマッサージしました。

その時言われたのは

ティー
ティーさんがいてくれて本当に良かった。ごめんね、忙しい時に。

と言っていただけた言葉今でも覚えてます。

その言葉が最後に交わされた、唯一の言葉…

この仕事にはこういう瞬間がつきものです。だからこそ、この仕事に携わる人は利用者さんとの一瞬一瞬を大切にしてあげて欲しい。

人の死を間近で感じて、今まで命について深く考えた事がなかった僕が、

人はいつどうなるかわからないと思った時、命とは尊いものだと改めて感じさせられました。

奥さんの事も施設のスタッフに任せてこれからゆっくり過ごせると言っていたのに…

これから自分の時間を過ごせるという時だったのに…

利用者さんが入居してからたった5ヶ月の出来事でした。

なんかあの利用者さんの事を思い出しながら文字を打ってると、涙腺が熱くなってきた…

あの利用者さんのかけてくれた言葉や笑顔が忘れられない…

なぜか急に自分の気持ちをブログに残しておきたくなったので、書いてみました。ありがとうございます。

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1987年生まれ。病み系、出会い系が得意なクリエイティブライター&社会不適合者。
フリーター歴10年、サラリーマン1年半といったところ。
幼少期に母親から虐待を受けたり、アメリカ留学したり、出会い系の会社に勤めたりと色々とまとまりのない経験多数。
パニック障害や自律神経失調症といった心の病と現在も共存中。
スイーツと映画をこよなく愛している。
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